レビュー:「君が君で君だ」、「ミスター・ロンリー」

7月7日(土)に公開された松居大悟監督によるオリジナル作品「君が君で君だ」(2018)と、ハーモニー・コリン監督による映画「ミスター・ロンリー」(2007)。

自己を封印し既存の有名人を演じながら生きることを選んだ彼らの動機は、この二つの作品では大きく異なる。
松居大悟監督による「君が君で君だ」では、3人の男性が好意を抱いている女性の憧れる人物(尾崎豊、ブラット・ピット、坂本龍馬)として10年間にわたり他者を演じ続けるが、「ミスター・ロンリー」においては、自分として生きることへの違和感から他人に成り切ることを選んだ、と少なくとも主人公はそのように語る。

(C)2018「君が君で君だ」製作委員会

この二作品の共通事項として、彼らは世間と隔絶された世界で生活している。
「ミスター・ロンリー」では羊の死をきっかけに彼らはどうにかその重苦しい空気を晴らそうと自分たちを見世物にしてショーを開催することで世間との接触を試みる。
「君が君で君だ」は、鎖国していた彼らの国が他者(外国)の介入によりこれもまた世間と接触せざるを得ない状況になる。これを象徴するキャラクターが坂本龍馬であるという洒落も面白い。
変化を引き起こす坂本龍馬、どの作品でも”らしさ”を隠しきれないブラット・ピット、永遠に青春という時系列のなかにだけ存在する尾崎豊。それぞれのキャラクターが物語の展開を支えている。一方で、「ミスター・ロンリー」は羊の死から衝撃的な結末までキリスト教を下地として人間の弱さ、脆さに目を向けながら次第に変わり行く心情を各所に描いている。

「君が君で君だ」の唐突な序盤の展開にはじめは戸惑うかもしれない。しかし彼らの行動が罪であるのか否かということを考えることはこの物語においてあまり意味をなさない。この物語はを「好き」という定義曖昧で得体の知れない感情に対する説明の難しさとその多様性を観客に問いかける。

(C)2018「君が君で君だ」製作委員会

彼らの掲げる想いが「好き」という感情の先にある「愛」だとすれば、それも宗教と何ら変わらぬもので、崇拝の対象に干渉することは彼らの手に及ぶところではないとする一方で、彼らこそ彼女をただ見守る「神」のような存在とも言える。
二つの作品に共通する「自己を捨て他者を演じる」行為は、程度問題こそあれど誰しもが少なからず行ったことがあるに違いない。「ミスター・ロンリー」の一節に、「モノマネをする人の心こそ真実に近い」という印象的な台詞がある。これは「君が君で君だ」で、借金取りコンビを演じるYOUが3人の行動に白けた視線を送る向井理に向け、「だからあんたは中途半端なんだよ」と言い放つシーンで、彼らと「そうではない自分たち」のどちらかに正解をつけたり優劣をつけるべき問題ではないことを代弁しているかのようだ。

「ミスター・ロンリー」は自己の内面と向き合う要素が多く、対する「君が君で君だ」はそれよりも意識が外に向けられている。しかし両作品とも他者との接触や環境の変化に伴い自らと向きあわざるをえない状況へと物語が進んでいく。他者を演じること、自分を演じるということ。なぜ彼らのように完璧な他者を演じないのかということへの明確な根拠を挙げることは簡単ではない。

■『ミスター・ロンリー』(原題:Mister Lonely)
■監督:ハーモニー・コリン
■脚本:ハーモニー・コリン
アビ・コリン
■製作総指揮:アニエス・ベー
ピーター・ワトソン
■キャスト:
ディエゴ・ルナ
サマンサ・モートン
ドニ・ラバン
レオス・カラックス
ベルナー・ヘルツォーク
■上映時間:111分

(C)2018「君が君で君だ」製作委員会

■『君が君で君だ』
■公式HP:https://kimikimikimi.jp/
■監督・原作・脚本:松居大悟
■ キャスト:
池松壮亮:尾崎豊
キム・コッピ:姫
満島真之介:ブラピ
大倉孝二:坂本龍馬
高杉真宙:宗太
■上映時間:104分